大阪に住んでいた時に乗っていた自転車の件

大阪に住んでいた時、もう15年前になるがスーツを着てコンピュータ関連会社今でいうITだが、情報技術の担い手としてプログラマとしてまあ街じゅう誰から見てもエリートに見えてたと思う。しかし高校の時にいちど受験に失敗した過去は身なりや仕事で綺麗に隠されていたが、外見が完璧になるにつれ心の闇は深くなっていた。隠すために虚勢を張っていたと言い換えてもいいだろう。最後には給料も高くなりタクシーで移動して高級レストランで食事した。

ある時に俺はタクシーをやめて自転車を買った。日本橋のナカヌキヤで何と無く、家から近いので自転車買って乗って帰ろうみたいな出来心だった。しかし当時流行っていた車輪の小さい折りたたみ自転車の折りたためないやつというポンコツで、俺は一度帰ってからまたナカヌキヤに行ってクレームを入れた。「こんな自転車ダメすぎるだろ」というクレームに店長は平身低頭に詫びてきて、結局それを返品した代わりにブリジストンでスポーツタイプで21段変速くらいで通勤用に前カゴもつけてスーツで乗るから泥除けもついた特注品を発注した。

俺は自分の仕事としてIT企業の中で受注生産でプログラムを書いてお給料をもらっていたわけだが、そのお金の使い道として多くのものを特注した。だから、街の人から見て仕事自体が発注側だと見て取られても仕方なかったかもしれない。プログラムを組むなんて、謎めいていたし、ソフトの業界ではプログラマは最下層の仕事だが、その下にハードがあって、デバッグやサポセンまで考えると社会の中では中枢に近い。

その自転車が街で異様に浮いていた。今では都市部で自転車に乗る人は珍しくないが、当時は地下鉄網や高速道路に駐車場が至る所にあり、関西の都市「大阪市」において自転車で移動するとは何事ぞというしかもコンピュータの会社で。「大阪が台無しになった」と言われたし、それにスーツで街に溶け込んでいた俺は自転車で浮いてから、私服がケチでダサく、最初は別人がチャリパクでもしたのかと誤解されたが、ついに同一人物だと分かってくると、マンションから通っていたコインランドリーも「貧乏くさい」と駐車場に変えられ、自転車が浮くとなると谷町六丁目あたりにレンタサイクルができて自転車ばかりになった。

タクシーに乗ってご馳走を食べる割に車も買わない服も買わないケチな奴と誹りを受けた。

結果俺はいじめられて精神病になりゲーセン仲間に病院まで連行されて、仕事を失い浮浪者同然になってから実家に帰って15年が経つのだが、ふとあの時の自転車が病院送りのゴタゴタの際に無くなっていたことを思い出し、良い自転車だったなと取り返せないか警察に相談した。

「10年以上前なんて」と電話口でいちど断られ、防犯登録番号とかの証拠を集めないといけないということでナカヌキヤで買った記録が帳簿に無いか問い合わせようとすると、ナカヌキヤが倒産して買収されており、関連会社に片っ端から電話をして尋ねると、おそらく処分されて人もすっかり入れ替わっているという話だった。

それでもせめて盗難届を出そうと近所の交番に行くと、若いおまわりさんに自転車が欲しいから無くしたと嘘をついて欲しい自転車を自分のものだと言っているかのような扱いを受け、説得するも盗難届すら出させてもらえない。免許証だって持っているのに確認もしないし、それくらい買ったほうが早いよと言われる始末だ。

帰って親父に経緯を話すと「警察なんてそんなもん、仕事しとらん、頼むだけ無駄」みたいに言って、俺も少しの間「ポリ公むかつく」と思ったが、よくよく考えると、無くした俺の自己責任か、働かない警察が悪いか、そうではなくて取られたものだから盗んだ奴が本来悪いはずなのに、煽り運転でとろい車が悪いか追い越そうとする車が悪いかみたいに玉突きが複雑になって、もともと悪いはずの「盗んだ奴」がえらく減刑されてないかと不思議になった。

この話を考え出すと、またえらくまとめづらい論議を自分の中で繰り返したのだが、今日は大阪に住んでいた時の話と自転車の話を書いたので、罪とは何か見たいな議論はまた日を改めて、じっくり書き出したいと思う。

まあ、無くしたのはIT企業で働く在りし日の自分であって、自転車はそのひとつの道具に過ぎないわけだけど、同じレベルのものが現在価格でかなり値上がりしているので勿体ないことをしたなと後悔がよぎるのであるr。あの頃の儀品をもういちど揃えるとえらく高くつくから。


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