「変えられるのは自分だけ」のパラドックス

アーマードコアVを毎日30分程度、1週間プレイした。

ロボットに乗ってマシンガンやミサイルぶっ放すゲーム。

レーダーではなく偵察機の「リコン」を使って敵を探す。

ジャンプやブーストで離着陸と加速できる高機動ロボだ。

ミッションが進むと相手もロボットなので五分の勝負だ。

だがまあ、キルレシオ五分のゲームは全部自分の勝ちだ。

 

ところで、ネットで人にああだこうだ言う人に対してな。

「人のことは変えられない、変えられるのは自分だけ」

そういう言説があるが、その言葉で人を変えようとする。

つまり人を変えようとする人を変えるための言葉なのだ。

 

人が変わるにはいろいろの要因があり、言語は時に必要。

暴力や、それを想起させる脅迫に軍事力やデマなどなど。

世の中のあらゆる言説にはそう発するに至る背景がある。

背景を理解して、人の言葉を読み取り、自分の意を通す。

社会とはそういう風に人と人とのやりとりで回っていく。

 

そこで人との関わり合いを無視して出来るのって作業だ。

製造業や農林水産に交通などは無言でも整理進行される。

黙ってしまったら主権を政府に委ねてロボットにされる。

 

政治を変えるのは言葉ではなく選挙という考え方もある。

黙って投票する、しかし政治的な同盟を結ぶのも言葉だ。

言葉以外にどうやって同盟関係を結ぶかというと実利だ。

贈り物とか婚姻関係で親族同士の利害を一致させる日本。

 

まあ、言葉で人を操ろうとするではなく人の性質を見る。

そうして相手の操縦方法を理解して操って戦うのが賢い。

その意味で相手を変えようとするではなく自分を変える。

自分が変わる事で望む結果が得られるという考えもある。

 

ただし、その言葉によって抑え込まれた元の自分は何処。

抑え込まれた自分がゲームでロボに乗って破壊活動する。

「変えられるのは自分だけ」とか言うやつから撃ちたい。


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