ゲーム理論の論理学「次にどうするか」

東洋哲学に孟子性善説荀子性悪説がある。

人間は生まれつき善であるという考え方に基づく思想と、人間は生まれつき悪であるから善をもたらすためには何らかの矯正が必要であるとする対立するふたつの考え方だ。

このどちらが真かというのは生物の進化から、種を基本として餌が足りなくなれば共食いするという需給の論理でもって善悪は決定される。まあ、厳密には「共食いを悪とする」という善悪の規定に基づいて善悪が規定されるという入れ子の循環もあるのだが。

さて、そこで何故に起源を辿ったり善悪の別を論ずる必要があるかというと、それは人間社会がそこそこ機能して戦争ではなく和平の保たれた時に次に相手が善行をするか悪行を働くか見極める必要があるからだろう。

これに全く違うアプローチで考えるのがフォンノイマン囚人のジレンマであろう。囚人は与えられる刑期の長さで持ってして協調と裏切りを仲間への信頼より損得で考えて行動するという考え方である。このゲーム理論は「人が行動を利得を考え最高になるように決定する」ということを示すためにゲームを用いたフォンノイマン流の思想だと考える。

さて、ここでゲーム理論を思想ではなくギャンブルの必勝法研究として使うとどうなるか、ということを論じてみたい。ギャンブルに必勝法があると仮定すると、打てば儲かることになる。その財源は何かというと、対戦型で相手に勝つかくじ引き型で親に勝つかだ。必勝法があったとして、親がいないと財源がない。つまりギャンブルで勝って金を稼ぐというのは曖昧ではあるが「共食いを悪とする」というような初歩の倫理の発想で悪なのである。

そうするとつまり、人間が性善説性悪説かはさておき、ゲームの必勝法を研究したとして、それが成就する時には悪になっているのである。

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