まあ、あんまり難しいこと書いても読んでわかってくれる人いないわけでして。
それは分かろう汲み取ろうとする力のせいなのか、俺のせいなのか、会話で煮詰めようとせず端々を「ああ書いてある」「こう書いてある」と短文しかメモリされないせいもあって。
それで短く言うと、唯一人間のが優れていると言われてた将棋にコンピュータが勝って結構経つと思うんですけど、じゃあコンピュータの支配する世の中が来るかというと、コンピュータはあくまで奴隷であって欲しいというのが人間の本音で、じゃあ何の奴隷になるかというと、武器にして革命を起こしても元々奴隷の人がそれまでより良い政治が出来るわけでもなく、奴隷の奴隷になって奴隷労働の負担を軽くできたら、という話なんですよね。
ただまあ、奴隷労働というと肉体労働なので、そこに計算機があっても役には立たない。させようとするだけ操作が難しく負担になるし、まあ上流階級の人が娯楽に奴隷を使うのをコンピュータが肩代わりしたらどうなるかというと、AIが仕事を奪うといわれるように、奴隷だコンチクショウと思っていても、雇ってもらわないと生活できない人もいるというのが実情で。
そこはなんというか、貴族がサドで奴隷がマゾならそのままにしておけばよく、マゾい貴族やサドな奴隷というのが成立するかというと、奴隷の奴隷がコンピュータになったら、まあ言わずもがなだとは思うんですよね。その負け役のコンピュータをマゾい貴族が操るという。
お金で支配する社会で雇われ技術者が反旗を翻したら、それで電脳空間が戦場になるわけで、それってもうウィルスとアンチウィルスとか銀行預金と不正引落とかのイタチごっこは紙とインクの仕事の電子化からずっと続いているわけで。
その意味で人間に勝つ機械なら鉄砲くらいでも十分だけど、そこに法の支配があって、法治国家での娯楽のはずの将棋が競技性と利権を持ったところにそれを打倒するコンピュータという構図が、既に見世物や賭け事であるものに当て馬を大きく張っただけで、革命ではない。
むしろ、貴族から奴隷という封建制から自由経済とか民主主義になった世の中がさらに社会主義になるのかどうかというところで、支配的階級が手に入れた新しい武器がコンピュータネットワークで、奴隷まで持たされているという方が正しいかもしれない。
けど、その持たされた端末が自分の奴隷のように言うことを聞くともう手放せない。
つまるところ日本式の下克上の基本である面従腹背は有機ELのタッチパネルやマイクで尋ねる音声で操られるように振舞っていても、月々の請求で真綿で首を絞めるように戦っているわけでして。「結局お金や」という人もいるけど、お金は物々交換を円滑にする貨幣から始まるわけで、終点をお金の多寡としてクローズアップするから、自分が持っていなくて誰かが持っている時に俺の方が少ないと思うのであって。
使っちゃったんじゃないのかな、というのが俺から見た感想なんですけど。いい服を着て営業に回ってお金をかき集めようとするような可笑しさが、まあ俺も20代とかそうでした。