今日のカプエス2(A豪鬼ベガブラなんだかなぁ)

 俺にはゲーセンバイトしてた19歳の頃の歴史があるが、22歳で再就職した頃に天王寺のパスカという繁華街のど真ん中の大型店舗でゲーセン店長をしていた池ちゃんと出会う。池ちゃんに言わせると俺の話は「屁理屈」のひとことで、会話になることは少ない。ちなみに池ちゃんの店に通う客の中にも池ちゃんがいて紛らわしい。都会だ。

 歴史という学問自体が「時間は過去から未来に直線的に並んでいる」という物理学の上に立脚しており、かつてはそれが地図平面で、大航海時代以降に地球は丸くなり、いやそれ以前から丸かっただろうという学説は後から遡って考えられて出来たものだ。

 俺にはゲーセン友達がたくさんいたので、その中で「あの技はアイツが最初にやったんだ」と守ってくれるところがあって、ゲームの技のひとつひとつは先にプログラムされているものだけど、その組み合わせ方や遊び方見せ方などで色々と個性があった。その主体であるという自尊心が満たされるから、色々と研究できたんだと思う。

 ただ、競プロのヒューリスティックに参加すると、既にコンペに55人の回答者がいて、コンペが終わったらたぶん1位の人のアルゴリズムが採用される。1位になれたらいいが、そうでなくて参加することに意義があるとか言い出すと、金魚のフンである。むしろフンから離れてあのコンペがあって、1位の人が決まってそれが社会利用されだすとまあ何か得になったらいいな、ああいう団体は市民の得になるものか独占利益を得るものかという単純な仕訳が団体に対するいちばんの関心事かもしれない。

 20代の俺はとかく忙しかった記憶があるが「そんな若い人に仕事がいっぱいあるような業界は信じられない」とも年長者からよく言われた。まあ、普通押し付けられても無理なのだろうが、なまじっかやる気があったので、回っていたのだ。

 競プロを見ていると、各企業が年に1回開催して総額50万円くらいの賞金を1000人で競うくらいで、十分に回っているんだろうなと思う。端末も参加者もそれを結ぶネットワーク網も配備されたから、競技レベルが上がり無駄が減り経費も減った。そうすると既得権益は固く保持され分け前は減ったと言ってよい。

 まあ、過去に遡ると類問はあるかもしれないが、そこに解けなくて解決を求む出題者がいるからコンテストもあるのだろう。三日とかからず良い回答が集まっている。

 そうすると、俺らの友達グループでは俺の発見であったものでも、世のどこかにはあったのかというと、その頃からユーザーコミュもパソコン通信もあって、ファン側の情報網はゲーセンに来る人とパソコンで発信する人すべてに行き渡っていたし、メーカーが分かっていたかというと仕込んだかはともかくバグらしきものが残っていたわけで。

 結局は、それでも広告力を持った方が発信すると受信者にとっては先に広告で知って、あとから「先にやった人は誰それ」という情報を受け取るので、歴史年表のような頭ではなく、人間の認知と情報伝達の順番で考えると、独りで研究するという行為自体が後手に回りやすい陣組みだったわけだ。

 じゃあ「もっとしっかり1番を捉えよう」という取り組みでコンピュータ将棋や競プロに参加してみて、自分の立ち位置は良く分かったわけで。そこはドンケでも得るものは色々あるわけで、数式やプログラム言語で書かれていても読み取れることにただ先立って勉強したことは役にも立っていて。

 まあ、金魚のフンも人間から見るとウザいものでも金魚としては出さないと死んでしまうものなので、そういう仕事だと思うと、出来る。

 そんなわけで、朝から競プロの問題とその出題に対する社会課題などの背景を読めたこと、さらには自分が解けなくとも既に55人の回答者がいることなどを知って安心して、自分の都合でPS2のカプエス2に取り組み、そのゲーム内容についても何か書こうと思ったが、先にもっと大事なことを書けたと思うのでやめておく。

 まあ、なんで取った取られたというような話になるかというと、珍しく羨ましく妬ましい危険な状態だったわけで。命があるだけ良いわけで。されたことは大げさに言って射殺に近い。屁理屈こねてゲームしてるだけのやつがスーパースター気取りというのがな。もっとこらえて仕事してる人はなぜこらえているかというとお金をだまし取るためで、敬語使って礼儀正しくしている百貨店の店員が横暴な客を刺し殺した、みたいな話と多分同じなんだと思う。なぜその人が百貨店で買う金があるかみたいなことが全て「身分の差」みたいに解釈されて、そしてそれを裏打ちするような左の論理があるわけで。

 そこに右なりの気苦労みたいなことを説こうとしても、習ってきたことのおかしさから精神構造まで全部違うので、年配の方の「大学出ておけば」みたいなのも受験して落ちた俺からしてみればその人も同じ受験の競争の土俵に上がって、親に高校行かせてもらってても大学に通らなかった俺みたいのもいるって知ったうえで、学問で同じ土俵に上がって本当に勝てると思って「大学出てれば」みたいに言ってるとすると違うわけで。

 それで、競プロで推薦で大学通っているというアカウントから競プロという競技の公平性の議論が出ていながら、特色入試なんてものが無く推薦は教職員の気に入ったものの下駄履きだった俺らの時代背景とか考えると、大学通って大学生として世界を見ているものの思う公平性てのがあくまで学力の正当な評価という軸でしかないのが読み取れて、俺は当時は不公平に思ったけど、進学校に通って私塾に通ったり本を買う金で有利になれるわけだから、大学側の考える公平性で落とされたのも飲めなくはない。

 親が医者だから後を継ぐために医学部に「行かなくてはならない」という受験生と、家が貧しくどうにか大卒を勝ち取りたいという受験生に、親が金持ちで「行けるなら行っとけ」という落ちた後の保険も利いてる受験生を落とすことにためらいが無いのも分かるわけで。

 中卒でタクシーの運転手をしていた人の苦労話とかも自動車の発明や鉄工所での事故死などで工業的な利便性で苦労はあったろうけど生きていけているわけで、大学落ちて専門学校行ってシステムエンジニアというのと中卒で運転免許取ってタクシーのドライバーなんてのは時代の差はあれ便利な発明とその並列生産から割り当てられた仕事をこなしているだけなのに変わりは無いようにも思えるんだ。

 いやタクシーの運ちゃんって若い酔っ払いのディスコ帰りの客を札束で家まで送らされて「あの金が俺にあったら、大卒だったら」みたいな感情が湧き起こったろうとも思うんですけど、多分そういう事でも無いと思うんですよ。

 予算ってのが下りてきて小分けにされたプログラムを組む。そのもっと核心を突けるようなコンピュータ技師になれたらって、結局俺はそれ金融が核だと思ったタイプなんですけど、競プロの先端課題が北海道大学での農業の機械効率化ってオチを見て。

 牛のフンを機械で掃除する仕事が未来になるならDQNと馬鹿にされて家とゲーセン往復して格闘ゲームしてる方がいいわってのが競プロ負けてみた今日の感想です。


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