あんま難しく書いても仕方ないんだが

 高校の頃から四次元がどうのとか言い出したことがあって、まあ狂言と思われたかもだが専門学校で3DCGをやってゲーム会社でバイトしてから建築の構造三年やった。

 動画にしてみてほとんど再生数は伸びなかったが波動方程式の時間を正弦波にするとどうなるかというのを写像で切り出した「なみなみ」という作品を作ったのが唯一マトモな四次元なわけだが、ふと世界は三次元でも四次元でもなくもっと高次元であるという着想が降ってわいてきた。三次元が時間によって進むという四次元の考え方は運命論というか、物体に質量があって慣性と衝突があるとする物理の考え方でも、三次元に思える世界は静止していても作用反作用による力の均衡の塊であり、無数の次元があるわけだ。でも、それをひっくるめて静止した三次元だと認識してきた。

 そうすると、庭を歩いていても部屋に居ても寝ようとしても頭の中が多次元にグルグルうねりだし、肉体は精神の牢獄という言葉があるが精神もまた時間からは逃れられない時間の牢獄とでも言うか、精神の内積の限界値までもう考えてるんじゃないかと思い始めた。子供の頃から将棋とか数学とか難問を考えるときに出るドーパミンに高揚感を得ていたが、なんかもう考えるのしんどすぎ。

 そうなって、そういや新聞たまってないかと店に行くと朝起きてゴミ出す前に親父が片付けたっぽく、店でガサゴソしているとシャッターが開いて外から荷物が届き、それを受け取って部屋に戻って懐かしい音楽をかけると、ああ音楽に支配された時間は幸せなのに音楽のない会社で長時間仕事をして発狂したのだなと思うようになった。

 音楽をかけながら仕事するというのも数か月だがそんな現場があった。ただし音楽は聴けるが納期が週単位で拘束時間がめちゃめちゃ長くしんどいと言ったらホテルかサウナを会社の金で借りて頑張ってくれという例のうんこ漏らした会社が音楽聴ける会社だった。

 いやそりゃ社長さんが借金して従業員が給料もらってるわけで、せっつくのも分かるんだけど人は人であってロボットにはなり切れなかったってかあの時に自分大事にすること覚え始めた気がする。だけど会社の人との関係は裏切るしかなかった。

 まあ、音楽を聴く側に回って想像すると、それとて歌とギターをはじめもっと多くの楽器か音源の集大成で、それをその時代のいちばん売れてるプロが作ったものを小遣いくらいで電子音楽の形で聴けるわけで、仕事としてそこに割り込んでいく余地などないような想像すらしてしまう。まあでも飛び込んじゃえば何か仕事はあるかもだが。

 音も三次元とすると波のひとことで終わり、実際に電子音楽が出しているのは波形データでしか無いかもだが、耳から入って脳で聴いた音から歌手や楽器を想像していて、人間てのは視覚、聴覚、触覚、臭覚、味覚を受け取るわけだから、持論として三次元てのは視覚と触覚で作られる世界の「カタチ」であって幸福とか旨味は聴覚や味覚や臭覚かというと、それが五感の全てではなく「腹いっぱい」てのは内臓の触覚かというと内臓には触覚は無くて腹がいっぱいになっているのを体幹にある筋肉の緊張とかで感じているわけで、狭く触覚というと手触りだがヨーガのように前身の自分の体の自分の触覚みたいなもので、感覚器を鋭くすることが同じ体験の密度を高めるというか。

 「味が良い」みたいのも物理化学で感覚器の刺激と理解することは出来ても体感としては甘いとか辛いという五味の次元があって、旨いものを食ったり良い音楽を聴くと感覚器が思考を止めてくれる。つまり、お菓子や音楽を止めて満たされない境遇に自分を置くから哲学的な思考の世界に入ってしまうのだろう。

 最初からそうであった人なら何もない大丈夫な体験でも、赤子の頃からテレビを見てゲームしてお菓子を食ってきた俺は毎日小学校に行くだけでも辛く、やがて社会の中でどうして会社という檻のようなところに自ら電車に乗って入りに行くのかみたいなことばかり考えていた時期があった。

 その原因究明は簡単に言うと戦後の借金を働く大人全員が背負わされているということになるのだけど、その借金も融資とか税金とか種類があって、雇用者の借金が大きいと労働者はそれだけ無理強いされるわけで、良い会社の基準もやりたい仕事つまり職種とか会社の大きさとか、会社が大きいって資産が大きいってことで資産が大きくて借金が少ない会社なら多分仕事の重荷は少なそうなんだけど、期待が大きく業績が良いと金持ちからもっともっとと大金を任されて仕事が重くなったりもするのだろう。

 物理学で世界の全てを統一的に解こうとしても無理かもだけど、球技の中のボールの予測くらいは出来て、そのように自分の仕事と持ってるお金とお店のことと食事のことくらいで株のチャートを線グラフで見ていた時と、それをもっと高次元に考えられないかと思った後では案外節約の効果ってドルトレードとかより大きくて、親父がケチケチしてるのも親父がケチなのではなく親父も工業出身でもういないけどお爺ちゃんのもとに孫担いで帰ってきているわけで、家があるって良いことだと思ったところで今日の書き散らかしはやめておこうと思います。

 四次元とかから考え始めても、行動としてはスーパーに買い物に行ってメシ食って生きているわけで、そこで打てる最善手はヤマザキルヴァンとパスコバターロールの値段を見比べて前に来た時の値段と今ならんでいる値段で安いほうを取るみたいなことの繰り返しで、なかなか日記形式の簡単な短文では伝えられない分量の物事を考えながらも行動のアウトプットが買い食いでは他人から見て働いていないわけでして。


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