嫌いになっちゃうぞ!

 確か週刊少年ジャンプまじかる☆タルるートくんだったはず。

 敵キャラの黒い魔法使いの弱点が女の子の魔法使いの「嫌いになっちゃうぞ!」で、まあタルるートくんも幼稚園児みたいなやつだった気がするけど、俺にもそういう弱点があって、女性から「強い」とか「弱い」とか言われるのに精神がグラついてしまう。

 男同士だとそれは克服出来ていて、格闘ゲームでも「強いとか弱いとか幼稚園児かよ!キャラ差が7:3とか勝率6割とかもっと数字出せ!」とかいう一方で「ハラモリガン強ぇ!ハンパねぇ!」とか言ってたりもする。まあ多分反射神経とか反復練習の差によるところが大きいけど、そう言って知的な読み合いに負けていることを否定したい気持ちもあるんだろう。

 このへん、自分で女に強いとか弱いと言われると弱いことは自覚的であるのだが、もうちょっと巧妙に男同士でもゲーム仲間という同じ穴の狢であることを友達意識とか連帯感みたいな搦手で持っていないゲームを売りつけられているみたいなところもある。

 それを今日になってようやく見破ったというか、もう嫌われてもいいやと思って「売りつけてるだろ!」と断ったら「やっと気づいたか」というのは俺がそういう罠にはまっているのを試すため、ゲーム仲間だと寄ってくるものではなく会社員時代の職場付き合いで全く同じ罠に皆でハメて遊んでいたことを明かしてもらった。

 まあ、友達というのは幼稚園から小学校でも教わる概念ではある。教育の理想が社会の構築であり、家族やクラスから人間関係を組み立てて地域や国家を形成するのが政治の根幹なので、まずは個人を定義して友達を作ってもらわないと始まらない。

 そこはまだゆるく溶かし始めた概念で、俺も社会保障のお世話になっている以上は過激に破壊して得るものがあるものかは疑問ではある。

 対して、ゲーマーというくくりで果たして社会機能があるかというと、少なくともゲーム機やコントローラにソフトの購入で消費者団体のようには機能しているはず。だから買わない奴が仲間はずれという道理にも納得で、いまみんなスト6に行ってるみたいですよー、てのはある。カネが無いわけでもないがそんなことに使う浮き銭はねぇと断っているところだ。

 柔らかい頭をしているものが、頑固者の固さを利用するために芝居を打つってのはあると思うけど、どこか自分たちに近いと思ったらヒントを出して試されるということも経験してきた。しかし柔らかい賢いグループには賢いゆえの独特のケンカがあり、頑ななところでは文字通りのぶつかり合いがあり、真ん中ならそれをかわせるかというと押し競まんじゅうのような椅子の取り合いのせまっ苦しさがあるように思う。

 俺がヴァンパイアに飽きてしまったようにGGXX勢もGGXから後れを取って参加してせっかく勝ったら台更新で興ざめ、青リロ勢として意地を張っても飽きるものは飽きるし賞金目当てか相手欲しさかカプコン系ストVに参戦してきて、今に続くわけで。

 張り合う強さではなく組める相手を探すようになったのは色々の縁が切れてひとりになってみると自分の弱みが見えて辛いからだが、独りで弱みを克服してこそ、辛抱強くゲームの練習に打ち込めるのだろうとも思うわけで。素直にその自分の弱さを認めることで、強いと言われようが弱いと言われようが自分の順位とか立ち位置とか実力を客観的に測って、これからどうするかもういちど取り組み方からあらためたい所存です。

 まあ勝っているのがカッコよく人気があるという世界観に上手く入りこめれば良いけど、人気者にはアンチが付き物だし、ホームかアウェイかホームでも商売っ気があって勝ち過ぎはお客さんが喜ばねぇみたいなところはある。そのあたりのさじ加減も妙技。

 「嫌いになっちゃうぞ!」くらいでグラつくようではキツい三択を凌ぐことは出来ん!そこまでようやく病中でもメンタルが回復してきた証拠で、服薬を続けたのがたとえプラセボ効果だとしても効いたは効いたで前向きになれてきたとは思うんだ。


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