都会の高層化はまるで樹木の成長のようであった

 病院に行くと先生が庭木の名前を知っていて、俺がコンピュータ技師ということでコンピュータで植物の名前を調べるのはどうしたらいいかと尋ねられた。その少し前に庭にあった椿の名をケータイで調べて他の患者さんが驚いていたからだ。

 もうずいぶん経つ。その頃のケータイはNECN501iiPhoneの初期型よりひと世代前になる。液晶画面に二つ折りで番号のキーボードが付いており、それにアカサタナの子音が示されており、連番で母音のあいうえおを入力する仕様でそれでGoogleの画像検索を使って「ツバキ」を引いたのだ。何故かというと患者さんが「ツバキ」を言ったので、名前から画像を引いて庭木と写真が合っていることを示せたのだ。

 だが、先生が求めているのは恐らく逆引きになる。やろうと思えばデータベースに全部の植物と名前を入れて、画像認証か逆引きになるけど(この逆引きは求められたことの逆引きなので逆の逆で)名前を知ってから写真を引くかですね。

 「データベースというのを使うんですね。ではその元の名前はどこから来るのでしょう」

 「まあ、小学館の図鑑でも使えば良いんじゃないですかね」

 「図鑑って誰が作ったんでしょうね」

 「さあ」

 そうこうしている間に図鑑を買ったが、結局それでは庭の雑草の名前が分からなかった。ドラマ「らんまん」が始まって、前後して草を調べるなんて牧野の真似事だと噂されていたが、まあ真似かどうかはさておき昔の人なので時系列的にはどう頑張っても自分の方が後になる。何でも先を取りたがる性格の人も分かるが、仕方ないこともある。

 それで手元の植物辞典は索引を数えてみて約1000種。そしてネットで世界統計を見ると29万8000種の植物が確認されているらしい。手元の本にすると300冊相当になる。

 先生はそれほど賢いかとふと疑問に思って植物の名前の言い当て方を考えると、病院に生えている植物の名前さえみな覚えてしまえば来客や患者さんに実物と名前を示せるが、よそで出来るとは限らず、そうすると主客の関係から主人が庭木をみな覚えてしまえば客を呼べばよいという話っであって、ウチには来客など無いもので真似はしづらい。そもそも、雑草の名前もまだ分からないのである。

 無くなったものを悔いても仕方ないが、ウチの東側は子供の頃に庭木があった。

 しかし、俺が大阪に出て母親も外に出て姉が結婚したあと、親父と弟だけになった家は誰も片付けるものがおらず荒れ放題で、俺が帰ってきたときには廃屋同然だった。

 今思うと家の東側を賃貸アパートにしたことで日当たりが悪くなり住み心地が悪くなったなと思うのだが、あの時は何故あんな契約書に騙されたのだろうかと思うと、そうではなく不可抗力とも思える周囲を囲む圧があったのだった。

 スーツを着て契約書を持った男と屈強で人相の悪い土木関係者と思われる男が家の入口をみな囲ってしまい、夜中まで居座られて親父と俺はその契約書にサインさせられた。

 19の頃まで都会に憧れた。しかし25歳で大阪に出て生家に帰って来た時には廃屋を眺めて母の田舎の農家の家が懐かしくなった。

 タイムラプスの連続写真をテレビで見た東京の50年はまるで森の樹木が伸びるように東京のビルがどんどん高層化していくその様はつまるところ日当たりを求める競争だったであろうなと思い返すのだ。生まれる前から続いているのだ。

 平城から続く古都とは奈良市の事で、俺の生家は郡山城の城下町。近鉄もJRもバスも通り駐車場もある一戸建てに蔵と庭まで付いているということは決して中流とは言えない。宮家の末裔ではあるが、資本主義の競争で資金力で負けた上に世は民主主義でいま俺の家を守るものは俺と親父だけである。

 契約書を持って住建屋さんが押しかけて来たあの頃に既に身分も金も何もかも失くしてしまっていたのだ。

 それでも、隣との間に生えたシダがすき間の日当たりで冷蔵庫の背丈ほども伸びている。あきらめるではなく、日陰でも命あっての物種。店の屋根裏でこうして物書きをして今後の事を考え直しているのだ。


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