ネタがない

 我ながらどうして毎日そんなに書きたいネタがあったのだと振り返るのだが、今日はネタがない。朝からギターのアンシュミを試そうとして、ギターをパソコンにつなぐオーディオインターフェイスはソフトではなくハード的にしか解決されない事を学んだ。

 俺の思考は恐らくその大部分を言語野が占めている。事実こうして活字のブログを書くのが日課だし、活字の小説を読むことが趣味の頃にプログラムコードを書くことを仕事としていて、いわゆる高級言語使いなのだ。

 しかし、現実問題としてコンピュータは和訳すると計算機であり、数を取り扱うのが本道なのであろう。

 もちろん、デジタルの活用法として画面に画像を映せることからスマホでマンガを読むのも立派なデジタルの使い道ではあるが、マンガを描くのにタブレットを使うというのは近年流行っているが本当に便利なのかは情報処理技術者としても疑わしい。

 同様に電子楽器としてのパソコンも俺は高価で不便だと思っている。自分で使う分には圧倒的にギターが便利である。だからしてギターの音をパソコンで取り扱うアンシュミに興味を持っているのだが、ギターよりも高価なオーディオインターフェイスでギターをパソコンにつないだとして、そうしないと役に立たないDAWソフトを前もってプロが使っているという理由から必要になると考えて先に買ってしまったことを悔いてみた。

 だが、こうしてネタが無いと言いながらまたブログを書いてしまうのが、パソコンに付いているキーボードってやつが文字を打つのに便利なので従って論理回路もプログラム言語で文字表記されてしまうのがパソコンの最大の長所なのであるが、スマホアプリをパソコンで開発する時にエミュレーターを使うそのエミュは何で開発されているのろうと思うと恐らくはパソコンなのであるが、パソコン画面に小さくスマホ画面を出して嬉しい人などおらず、PDAサイズのスマホだからお客さんが持って嬉しいのである。

 そうするとDAWを使うのがプロのサウンドクリエイターであるとして、ギターのアンシュミがなぜ必要かというと若者バンドの楽器の代名詞がギターで、写真で絵になる若者バンドがアー写でギターを持っていることからその音楽性にギターが想起され、写真やビデオで見るバンドに合わせるためにギターのサウンドメイクするプロがいて、そこで音質などにこだわってアンシュミが使われたりするのだろう。

 つまりプロと言ってもスタジオミュージシャン的なプロ器具であり、写っている人がギターを弾けたら何も問題は無いかというと、どうしても生録で上手く行かない事情を抱えた人のためのアンシュミであり、しかしまあ今からギターを始めるならアンプよりアンシュミという事情も分からなくはないが、それは披露の場がネットになることが想定されているからで、ギターケースに詰め込んだその夢を手放さないよに追いかけ続けている未来を生きるぼくはアコースティックギターを抱えて天王寺の歩道橋か心斎橋の大丸の裏手あたりに路上をやりに行った方が良いんじゃないかと思うほどである。

 活字で食うのが無理でも毎日タイプしてしまうこのブログのように、聴き手がひとりでもいるならと音楽を続けるモチベを考えるのだが、俺は俺の演奏を聴くのは俺だけで良く、歌に込められる歌詞の情感を超えた文字数を日々ブログで発信しているので、歌に込めるほど大衆的な訴求力をメッセージとして強めるつもりはあまりない。

 ただ、ギターを弾いてパソコンのDAWを持っていてオーディオインターフェイスを持っていないという状況を解決して繋げば世界は変わるかもしれないし、それと同様に何かが俺のこの毎日垂れ流している活字を歌詞世界とリンクさせて新しい表現を生み出す可能性も無いわけではない。

 それでもマンガを描こうと思った最初に買ったデジタル機器がタブレットとスキャナで、どちらも宝の持ち腐れで仕舞ったままだが、デジカメをケータイで取れるようになって、スケッチブックに落書きして写真撮ってブログにアップってのは以前やったがアクセス統計で変化が見られず辞めてしまった。

 同様にオーディオインターフェイスも買っても十中八九宝の持ち腐れになるんちゃうかなって買う前から控えているところがあって、それでも下手な鉄砲も数うちゃ当たるで色々な機器を試していけば「これだ!」というものに当たるのかもしれない。

 デジタルとかネットに夢を見過ぎて、面会者ではなくネット世界にこそアイデンティティを保持しているのが肉体としての俺よりも精神体として活字で描き出してる俺のキャラの方が俺が気に入っているみたいなところはあると思うんだ。

 その延長でギターのアンシュミを考えたら、今の俺はYouTubeにカバー動画などをアップしており、その原型であるアーティストが完成されているとするとリメイクしきれず破壊してからおぼろげに似せて作っている感じであり、音源としての完成度を高めるのにマイクとアンシュミを使ったとして、映るのが俺で良いのかと思うとその昔にライブハウスで見た地下アイドルがちょっとぽっちゃりで、会ってからダイエットというか壮健美人を目指して運動しているとかそんな話もあったなと。

 ようするに極端な話をすると俺の生歌と生ギターと自撮りをデジタルで見栄えよくいじるのかという問題に近接しており、いじって良くしてその後どうしたいねんと思うと実物の俺に落胆するだけでは無いかと思うけど、お見合い写真の段階である程度イケメンでないと出会いすらないという現実にフォトスタジオではおめかしするように、今後のネット社会で存在を認知してもらうためには何らかの「いじり」は武器になり得る。

 その諸費用の一行目が数万円とか。買う前に諦めそうになっている今日の俺でした。

 そんでもデジタル録音になる前から良い音楽はあるわけで、ぜいたく品の極みではあるよな。贅沢品というのはプロとしてクオリティを上げるためというよりはごっこ遊び用の高価なおもちゃのたぐいでは無いかというような意味で。

 そういう風にギターライフをおもちゃで楽しくすることが長続きの理由になって、演奏技術の方が付いてきてくれたってポジティブに捉えることも出来るけど、練習しよ。


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