音楽とテクノロジーの融合:アイポッドと未来

 信じてもらえるかは分からないですけど、アップルコンピュータの低迷期からアイフォン発売の間にはアイポッドの流行による回復期があって、そこを大阪日本橋で支えていたのがこの俺なのです。まあ、流行なわけだから俺の手柄というのは流行の初期にただそれを持って目立っていたというだけで、企画は俺が持つ前からあっただろうけど、マイクロソフトWindowsXPの開発後からブロードバンドが普及する間に「ところでパソコンって何に使うものなの?」という疑問を持った人がいて、とりあえず俺は音楽聴いてるよ、なら画面とキーボード取っ払ってケータイ型でDJのクルクル回す奴ついたアイポッドってのがアメリカのアップル社から出てるみたいだぜ?ってこれがちっこいくせに日本円で5万円とクッソ高く、日本にはソニーウォークマンがあって後続機の韓国とかのMP3プレイヤーとかあるのに、なんでそんなの買うんだい?ってのは言われてたんですけど、俺は子供の頃からLSIゲームやファミコンで遊んで、その頃に出ていたゲーム雑誌やパソコン雑誌に筆者ライターの「持ってた自慢」のアップルコンピュータの画面写真が良く載っていたんですよ。憧れだったんです。

 だから家でコソコソとパソコンをして引きこもっていた俺だったのですが、ケータイ型ということでそのアイポッドを持った時は友達から家族から親戚まで「こんなの買ったんだー!いえーい!」って感じで見せびらかしたんですよ。

 しかし、そこは奈良の公家社会。お公家様の名でいつも「オクレ」と思われていた俺が周りよりも早くみんなの知らない新製品をもって女にチヤホヤされるのはお公家の男たちが「おのーれ、おのーれ!」となって、アップルのもっとすごい新しい製品を此奴より先に買ってやる!ということになって、みんなの良く知るアイフォーンの発売日が来たわけです。

 そして皆様がアイフォーンで遊んでいる中で、俺はまだNECのケータイのほうが小さくて便利なのになと使っているとまた「オクレ」と言われて、それでとりあえず人間関係は元に戻って恨まれなくなったのですが、嘲笑われるようになり、貴族社会はいやんと思って、アイポッドで音楽を聴いていた時に「そんな機械が音楽界を席巻するなんて」てのはいつも新しい機械が出るたびそんな感じらしいけど、仕事が無くなった音楽家の皆さんがアイポッドでクラシックまで遡って聴こうとした俺に楽器屋の店頭などで無料で古式の楽器の生演奏を聴かせに来てくれていたんですよね。

 そうです、何が起こったかと言うと3月1日公開の人気映画「ドラえもんのび太地球交響曲」みたいに新製品もドラえもんのように手にしたけど、歴史をさかのぼってみたくなっていたのです。

 それから彼是と色々あって年月は経っているのですが、最近までギターの弾き語りでつながっていた皆様方から、ギターの独奏では表現できない音楽を電子機器で補って放送というか再生というか、楽器以外にもオケを使って楽器の演奏と機械の再生をとろけあわせようという流れになって来ています。これも再現の再現なわけですが。

 まあ、前職は曰くプログラマー。その時代はシステムエンジニアの時代で、銀行からお金を借りて便利なミドルウェアを買ってちょっと手を加えて高く売りつけるという商売が流行っていた時に、そういう知識が無いもので設計事務所でソフトをOSの上でプログラミングしてコンパイルしてアプリにしようというシステムエンジニアから見たら下位職であるプログラマーとして働いていたわけです。そうですオクレだったのです。

 そうするとアイポッドから何をどう遡ったか、ギターの生演奏になって、だけどその仲間が機械を楽器と組み合わせて、それって最初から機械とどう違うの?というと、四次元ポケットからポイと出た便利道具を使うのと、一歩ずつ行くの、本当に一歩ずつ行った?確かに楽器の練習は一歩だけど、皆も便利につられてぴょんと飛んだんじゃね?

 俺の今までは何だったの?というと、貴族社会で猿蟹合戦のカニみたいにいつも悔しい思いをしながら「オクレ」にならざるを得ないシチュエーションの策謀に嵌められ続けてきたんじゃないの?

 まあ、俺のび太だしな。しゃーねーか。のび太のくせに生意気ったよな。ごめんな。

 いつも負け役の俺のび太アイポッドで勝つ回が1回あって懐かしいなって話。

 この記事を書き上げたので物証であるアイポッドを取り出して写真を取ろうとしたら、箱やコネクタは残っているが本体が見当たらない。また弟が?と疑うが、よくそういう時に部屋や物置をガサゴソするので物音に聴き耳ばかり立てている人からすると、俺の部屋つまり二階の入り口のすぐにいる住人がガサゴソの犯人で盗人であるとうたがわれている。弟はスッと上手く取って、すました顔で外では親父から取った万札で買い物をして帰って来るのだ。このトリックに長年悩まされていた俺は弟が上京してほっとしたのだが、弟が元の住所(俺の今の家)に自分の名前でネット注文した品を届けたので、一寸宅配業者からすると住んでいるのが弟かという事になったが、そこは俺の名前で弟の住所に荷物を送り返してヤマト運輸の兄ちゃんは混乱していた。ベテランが車から降りて来て、察した表情をしたが、何も言わずに頷いたので何を考えたかは分からない。

 そうして、なぜ俺がと言うとプログラマーとして素数を求めた手柄やこのブログの執筆を20年4000記事続けた、ずるいだけの貴族では到底敵わないと思う「努力の証拠」をネットに作ろうとしたのだが、サーバーの会社を買い取ってログを消そうとしたり、カネで動く証拠は全て動かされてしまうし、哲学的にも絶対の証拠というものはない。そうは分かっても、とりあえず市中の人を騙す物証に於いて弟を含めて周りの貴族の方が勝っているのだ。そりゃかぐや姫も嫁に来ない奴ばかりなのである。

 ちなみに努力して書いてきたこのブログでも、今日のタイトルは文章を書いてからAIのアシストが付け直しをすすめてきた。もう何年かしたら、俺の手打ちの文章とAIが生成した過去ログ風のサーバーデータとの区別は無くなるのかもしれない。

 そうしてアイポッドの物証がないことを納得しようとしている。悔しいなぁ。俺はもともと中学くらいまで口うるさいが物証の弱い男であった。それが近年は物証に躍起になっているが、モノは盗まれることを考えると、やはり守らないと物証たり得ない。

 天皇家には草薙剣があるらしいが、あれも箱の中は誰も開けてはならないらしい。

 まあ、物証は免許とマイナカードを大事にしていて、それで国というかお役所が守ってくれはするが、手柄の意味での物証はもしかしたら示せないという気弱さが今の俺の精神を支配している。

 まあ今日のタイトルは写真を用意する前までで「音楽とテクノロジーの融合:アイポッドと未来」となったが、生体認証などその人はその人という証拠が中国の近代化で何十億人も探したら見分けのつかない奴なんて見つかって、そしてそれと自分が入れ替えられたらという安っぽいSFのようなシナリオがテクノロジーでやってきたらどうしよう、そのテクノロジーもっと安心感を守るために使って欲しいなどと思うと、甘えん坊の「ゆりかごから墓場まで」みたいな部分のある俺の人生。すったもんだは無かったことにされてしまうのかもしれない。


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