シゴキがヤバいけどギターの練習は続ける

 今年のテーマはAマイナーペンタトニックスケールを指で覚えること。

 まず基本フォームの5フレを10分した。4秒から5秒で終わるフレーズを10分やるわけだから、100回以上になる。

 だが考えてみよう。プロピアニストの1万時間の法則だ。概算ではあるが小麦の生産に日照量が積算温度1900度いるように、ピアノを弾きこなすには通算1万時間の練習量が必要で、それは就職が18からだとすると子供のころからしておかないといけない理由にもなる。何故なら1日1時間でも1万時間には30年必要になるので、1日2時間から3時間を子供のころから続けないと18歳ではプロに成れないからである。

 対して、ギターの教本で中高生向けのものには1日5分でも必ず上達するとある。まあ、バンドギターでコードを覚えて伴奏するなら、それでも出来るかもしれないし、俺も実際その程度である。だが、ギターのもっと上手いやつに嫉妬したとき、同じだけ弾けるようになりたいと思って、彼らの練習量が1万時間あったと考えてみよう。

 1日5分で1万時間をたたき出すには年間30時間なわけだから300年かかる。そりゃ無理ってもんだ。ではそれを縮めるためには1日の練習量を10倍の1時間にして30年かけるしかない。1日5分を12年やって、300~500時間は練習したかもだが、1万時間の壁はあまりにも厚い。そして高い。

 その意味で、あらゆる技芸に俺は才能以前に才覚が必要だと思っている。勘違いで良いから「自分はできる」と信じられるやつでないとそれだけの期間辛抱強く続けられない。その意味で、俺は幸運だった。ゲームというどうでも良い世界で、同級生や先輩に勝ち、北米で優勝するという経験が、今からすると大きな勘違いだったが、自分は何かを頑張ればできるようになる人間なのだから、それを夢につなげようと思えたからだ。

 もちろん、ゲームばかりしていて可哀そうだから負けてくれた同級生もいただろう。本当に負かして悔しがった人もいただろう。決して、グループで一番上手かったわけではないと後から気付くのだ。

 その意味で、今のシゴキは辛い。部屋で演奏していて、それが向かいの料理屋まで音で届いて「下手くそ」とかの声が入ってくるのだ。「下手くそ」は慣れて「あいつらには俺の良さが分からないだけ」と思えるようになった。今度は「上手い」と来る。そうして弾き続けると「とろい」と来るのだ。このとろいをとろいなりに解釈すると、上手と乗せればしつこい練習に得心して辞めるだろうとうるさいと思っているが、調子に乗るのが勘が鈍く「とろい」わけである。料理屋とは付き合いが無く親父が法事で得た情報だけでは俺はヤジを入れるのが若大将の嫁さんなのか妹さんなのか掃除に雇われた人か何か、音だけでさっぱり分からない。しかし、言われるとメンタルにかなり来る。

 料理を買いに来たお客さんも時々練習の時間と被ると「はっはっは」と笑う。だが、それで辞められないのが俺もレコード育ちで、初めてライブハウスに行ったとき生バンドの演奏を聞いて、その後の飲みで感想を正直に「下手だな」と言ってしまったことがある。

 それが、やってみると、はじめはCメジャーコードを抑えただけで自分はプロ級に上手いと思ってしまったが、2年やろうと10年やろうと一向に進歩など無いように感じられるのである。

 しかし、ソロギターとなると、指が全然ついてこないで、上手い人の演奏を聴いて見ると雲泥の差があるのだ。指が多少付いてきても、音の鳴りがパリッとしないとか、ギターの上手い人には「ギターって難しいから面白いのよね」という人もいる。バイオリン奏者でピアノも弾ける人が「ピアノなんて簡単よ押せばだれでもなるじゃない」と言ってて、小学校の音楽の先生も「歌がいちばん難しいのよ楽器なら同じように弾けば誰でも音が出じゃない」と言っていて、子供のころから最近まで、両方ただの嫌味だと思っていたが、実際調律されたピアノを弾く方がギターよりはるかに簡単で、ギターも押せば鳴るようなものではなく指使いが音に直結してちょっとしたことで音が変化するから、歌より楽器の方が簡単ってのも嫌味であることを差し引いても間違いだと思う。

 んー、あとはこのブログを書いてストレス発散する時間もギターの練習にあててもっと上手くなるのを早められないかとは思うものの、練習中に心が折れて情熱も失うってことを今までに何度も経験している。その意味では、俺はギターに対して勘違いでも良い才覚ってやつを本当は持っていないのかもしれない。

 ただ、明日もやるとは思う。コレ書いた後ももっかいやろうと思う。おしまい。


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